1994年5月グループ結成。
結成より9年間に14回の定期公演を催す。(ラフォーレミュージアム原宿、三軒茶屋キャロットタワーシアタートラム、宮城県庁ロビーコンサート等宮城県ツアー、麻布デラックス、代々木上原ムジカーザ 等の会場において)
2001年スパークリング・ビートニクレコード(アメリカ)より、CD「SOEMON」発売 。
2002年9月~2003年12月まで、沢井箏曲院の本拠地であるスタジオエス(目黒区)にてコンサートシリーズを展開。
「箏衛門辞典」とタイトルをつけ箏衛門の謎を紐解くイメージで序章から最終章までの全6回のコンサートを開催。
2005年5月、新宿区四谷区民ホールにて、沢井一恵・齋藤徹両氏を迎え「箏衛門10周年記念コンサート」を開催。
2006年3月、長野県岡谷市文化会館カノラホール にて、栗林秀明プロデュース/カノラWeekEndコンサート「サングラスをかけたライオン」に参加。栗林秀明・おおたか静流両氏とのコラボレーションが反響を呼ぶ。
2007年2月、渋谷公園通りクラシックスにてライブ開催。
2007年9月新メンバー3名を加え、本拠地ともいえるStudio Esにて全曲沢井比河流作品によるライブ「SOEMON ROCKS!!」 開催。
2011年2月最若手メンバー主導の企画によりトウキョウワンダーサイト主催"TOKYO EXPERIMENTAL FESTIVAL" に参加。
2012年2月セカンドCD「箏衛門 其ノ弐」発売。
以後も2016年までほぼ年に一回のペースでライブを開催。
コロナ禍により一時活動を停止するも、2023年満を持して活動再開。
箏の可能性を広げる新たな挑戦はまだまだ続く…
箏衛門は、日本の13弦の箏を奏でる若手演奏家のグループである。
「URUMA」は、 鮮やかな沖縄風幻想曲で、グランドピアノでバンジョの小曲を演奏して、 その楽器の魅力に敬意を表するように、箏のキラキラする音色をミュートすることで、 琉球蛇味線の模倣となる。トレモロで声が表され、木材の胴を利用した打樂的な様子、 そしてもっと南の国へ、ガムランの音が呼び起こされる。
日本の伝統音楽界の閉ざされた 本質に対して、沢井忠夫のこの作品を通して、箏衛門のより広い世界へのビジョン、 そして現代的な取り組み方を表す。音楽の大家である沢井忠夫の門下生で、 西洋人数人を含むグループである。
(今回の)録音は東京で行われ、 3から7パートの箏合奏曲で構成されている。技術、合奏のレベルが高く、 音色の幅と広がりが絶妙。牧田信宏の「霧の門」(Gate In The Mist)は、 不思議で印象的な効果を出し、ドビュッシーの水中(西洋の)大聖堂を張り合う(日本の)水中寺院。 メンバーのブレット・ラーナー作曲を含む6曲には、力強さと繊細の部分の移り変わりが豊富。
箏衛門が作曲家のハロルド・バッドと出会ったら、どのような音楽が生まれるか、 興味深いことまで考える。
Clive Bell (クライヴ・ベル) 筆
桜吹雪によく似合う楽器ということで3枚目に紹介するのがコレ。箏衛門(そうえもん)は、生田流箏曲・沢井箏曲院の門下生によって結成された琴のアンサンブル。
古典にとどまることなく、ポップスやロック、オリジナルなど、ジャンルを越えたユニークな演奏活動を展開している。
このCDには、いずれも現代の作曲家の手による6曲を収録。ライブ録音された3曲目を除き,筆者が録音、および全曲の編集・マスタリングを担当した。
録音は昨年の6月と7月、同箏曲院のスタジオにて、無指向性B&K4006を使用し24ビットで録音。
音の鮮度感や切れ,響きの一体感などを重視した。基本的にリバーブは必要最小限にとどめたが、4曲目の『HONKY-TONK』だけは作曲者の指示により、長くて多めのリバーブを付加。 タイトル通り、ホンキー・トンク風に実にノリの良い曲だが,この曲のOKテイクが録れた直後、余韻が消えるか消えないかという微妙なタイミングで、なんと犬の鳴き声が入ってしまった。
これも何かの縁,もしかすると「神の声」かも?ということで、この犬も特別参加。遊び心を理解してくれた作曲家とメンバーに感謝しつつ,思い出に残るCD収録となった次第。輸入盤ゆえ、入手には多少の困難が伴うかもしれないが,ライブ会場などで手売りしているほか,通販にも応じてもらえそうなので、興味が沸いたらぜひ聴いてみてほしい。
リポート◎小川 ひろし
路上から老人ホームや小学校、美術館そしてコンサートホールまで最近ますます活動の場を広げている野村誠の個展ともいうべき「野村誠&箏衛門コンサート」を水戸芸術館(コンサートホールATM)で聴いた。
オランダを本拠地に活躍するピアニスト向井山朋子のCD『AMSTERDAM × TOKYO』に収録された≪卵を持って家出する≫の衝撃以来彼は、現代音楽の可能性に一縷の望みを与えてくれる存在としてぼくにとっていつも気になっ ている作曲家である。
コンサートでは、既にCDとして私費出版されているピアノ曲≪インテルメッツォ≫、箏アンサンブル、箏衛門の為に書かれた ≪52×51≫、そして子供やアマチュア奏者達も加わった箏アンサンブルのための新作≪せみ Bongo≫(タイトルは野村自身によって演奏会場ではじめ て告知された)の3作品が演奏され,野村誠の知性を知る上で絶好の機会となった。特に新作の≪せみ Bongo≫は近年彼が続けている集団作曲の試み 「しょうぎ作曲」による作品であると同時に野村の指示によって箏衛門のメンバー達がアマチュアの大人と子供達をナビゲートするような形で進行するもので, クラスターや特殊奏法などという音楽界の専門用語を嗤うかのように、それこそ「子供のように」自由な創造と発音の悦びに溢れた作品であった。(この≪せみ Bongo≫初演の記録はシュタインハント・レーベル(www.steinhand.com)から近くCDリリースされる予定。
野村の音楽は最高度に知的であるがアカデミックではない。
そして音楽だけが持つ悦びに溢れているのにそれは愚鈍ではない。そう。一体、現代の創作において、愚鈍にならずに音楽本来の悦びを取り戻すという、このような離れ業をやってのけた作曲家が一体どこにいたというのだろう?
音楽の様々なジャンルにおける決まり事。それぞれのスタイルを常に創出し極めようとするのも音楽家の役割だろう。しかし現代音楽はそれらの上位にあろうとするからこそ存在できるのである。
現代音楽が他のジャンルの音楽と同様「現代音楽のスタイル」を踏襲し始める時,現代音楽は自殺することになる。いや、そうでなければ延命を繰り返しているうちに現代音楽そのものとはとうの昔にミイラ化していたのかもしれない。
海外の誰それではなく、野村誠は日本にいながらこれらの状況に彼だけの方法で飄々と(!)新しい道を提示し続けていたのだ。最近クセナキスのコンチェル トがCD化された京都大学時代の友人だったというピアニスト(チェンバロ奏者?オルガニスト?)の大井浩明と共に、何かが、今までとはまったく違ったルートを通って、この国から生まれ初めていると感じさせるコンサートだった。この機会を逸した人も、箏衛門メンバー2人による野村の委嘱作品の初演が3月に行われる。ぜひ注目して欲しい。
三輪 真弘(作曲家)